今週のお題「大人になったなと感じるとき」
初めて「大人になったなあ」としみじみ感じたのは何気なく車の運転をしている時だったと思う
車の運転というのは「大人」がしてくれるものであって、子供のころ家族で旅行に行ったり買い物に行ったり何かの時に送り迎えをしてもらったりした時など、ただ何も考えずに助手席や後部座席に座って流れていく景色をボケッと眺めていればよかった
当然子供のころは運転免許証など持っていないし「運転」と言う行為は未知なるもので、父親や母親の運転に身を任せるしかなかったが、免許を取得し、誰かを自分の車に乗せてハンドルを握っていると、当時、父親や母親やほかの大人たちが担っていた役割をいつの間にか自分がするようになったのだなと感慨深く思ったのだ
まぁしかし子供のころは未知だった車の運転という行為に手が届くようになり、運転と言う選択肢を得たことによって行動範囲は広がったが、それで僕の精神が大人になったという訳ではない
自転車でアホ面で
「オウイエーーイ!ww」
などと鼻歌を歌いながら子供のころはその辺を走り回っていたが、今も相変わらず
「オウイエーーイ!ww」
などと歌いながら車の運転をしているのだから、単に乗っているものが変わっただけかもしれない
(本題と関係ないんだけど周りに人がいることに気づかずに、自転車に乗って鼻歌歌ってる人を見るとなんだかこっちが気まずくなるよね)
精神年齢は相変わらず低いままの僕だが、それでもそれなりに子供のころとは変化しているように思う
一番変わったのは自分が「どの程度」の人間なのかを良くも悪くも理解できるようになってきたことだろうか
子供のころは無知からくる根拠もない万能感のようなものを持っていて
(◔౪◔ )「おれ天才!w」
などと思っていたが、それなりの社会経験を経て、自分がただのパンピーであることを知った
売るほどに若さを持て余していたころは自分の力を誇示したくて、なんにでも必要以上にがむしゃらに挑んだり、見栄を張りたくて自分の実力や能力以上の事をしようとしたりするものだけど、今はあまりそういうことも無くなった
っていうかいかに手を抜くか考えるようになった笑
自分がただのパンピーなのだと悟ってからは、自分を必要以上に大きく見せようとしても疲れるだけだなと知り、仕事場とか何かの集まりでやたら使命感に燃えすごい張り切ってる人とかいるけど、作業はそういう人たちに押しつ…任せて、後ろの方で適当にがんばってるふりをするのが賢いなと気づいた
そういうとちょっとなんか、誤解のようなものを生むかもしれないが、手を抜くというのは大事だ
手を抜く、つまり「力を抜く」というのはそれなりに経験を積んで、熟達しなければできないことだ
スポーツとかでもそうだろう、最初のうちは力んでしまって中々うまくいかず、良いパフォーマンスはできないものだ
しかしある程度実力がついてくると、力の抜き方が分かってくる
大人になるという事も多分同じことだろう
あちこちに余計な力と勢いばかりが溢れ、自分の「程度」と言うものを知らない若いころというのは、力を抜いて楽に生きるというのは中々難しく、うまくいかない現実に必要以上に悲観したりして刹那的な行動に出やすいのではないか
だから大人になるということは、自分の能力や実力をなるべく正確に把握して分相応を知り、いかに力を抜いて楽に生きられるようになるかだと僕は思う
別に僕が仕事中にかったるくてただ手を抜いているわけではないのだ(キリッ
良くも悪くも「自分はこんなもんだ」と知ることがまずは大人への第一歩なのではないだろうか
まぁ色々書いてはみたけれど、僕が一番シンプルに自分が大人になったと感じるのは、ふっとした時に出る声やしぐさ、鏡やガラスに映った自分の佇まいなんかが、
(´・ω・`)「なんか自分の親父に似てきたな…」
と思うときだ
(´;ω;`)僕も親父の、おっさんの年齢に近づいてきたという事か…
(´;ω;`)抜け毛も増えてきたしな…